僕は32歳になりますが、先日まで人生詰んでると思ってました。
小さいころに両親が離婚し
母親が一人で育ててくれて
中卒で働き始め
その母もストレスか何かで20歳の時に無くなり
誰の支援を受けることもなく生きてきました。
両親の結婚自体も父が在日ということもあって両家の反対を押し切ったものなので、親戚などもおらず。
(1人だけ母親の姉は理解してくれた)
ちなみに僕は父の顔なんかも見たことがなかったです。
目次
何となく知っていた父のこと
小学校1年くらいで母と父が離婚した事実を何となく理解しました。
父は在日なので普通の会社では働けなかったようで、自分で会社を作ったみたいでした。
電柱などの修理などを引き受けているくらいは知っていました。
たまに母が電柱を見て「パパはこういう電柱を上って仕事している人なんだよ」ということを教えてくれていたからです。
ただ会社自体はそこそこ上手くいっていたみたいですが、酒癖と女癖が悪く、それが離婚の原因であることを中学の時に知りました。
母はパートをしながら育ててくれていたので、僕自身はそれを聞いて、父を少し恨んでいました。
父が亡くなったことを母の姉から聞いた
そんな母が亡くなってから12年たったころ、母の姉から「実のお父さんが亡くなった」という知らせをくれました。
この母の姉は、たまたま父の会社の取引先で事務をしていることから知ったそうです。
父は親戚などとは離縁しており、会社関連の人だけで葬式が行われたとのことでした。
会社関連の人たちの間では僕の父である社長の遺産はどうなるのだ?ということが話題になっているみたいでした。
これも母の姉から聞いた話です。
遺言書に書かれていた知らないおばさんの名前
そして少しして分かったことなのですが、父と同棲をしていた女性がいるようで
遺言書も副社長のA氏に預けているようでした。
母の姉から聞いたところ遺言書の内容はざっくりとこのような感じでした。
・会社の自社ビルが建っている土地は会社名義なので引き継いでほしい
・個人で持っているアパート3棟については同棲の女性にあげる
・次の社長は現在の副社長であるA氏になって欲しい
というような内容のようでした。
遺留分減殺請求で全部自分に入ってきた
この話を聞いた時、父がどれだけの財産を持っているのかも知らなかったですし、父を恨んでいたので関わりたくなかったのが事実です。
少なくとも父の子であることは会社の人にばれたくなかったですし、遺言書のままで僕はいいと思いました。
しかし母の姉が弁護士に相談をしたところ、遺言書があっても、法律的に受け取るべき法定相続人というのは僕にあるらしく、しかも、父に正妻、両親、兄弟がいないので、全額はいってくるというのです。
しかも個人的な資産が9000万あったので、これはある意味父への仕返しではないけれど、受け取ってやりたいと思っていました。
ただ遺言書があるので、僕にはそれはできないと思っていました。
しかしその弁護士さんいわく「遺留分減額請求」ということをすれば、遺言書に関わらず、その遺言書の内容に異議を申し立てることができるらしいのです。
遺留分減額請求をした結果
(けっこう色々ややこしい手続きがありましたが)
遺留分減額請求という制度を使って異議申し立てをした結果、なんと僕に個人の資産9000万円全額入ってくることになりました。
あとで母の姉に聞いたところ父の愛人は、金額が大きかっただけにかなり悔しがっていたようです。
(僕からすれば、父も愛人もざまあ見ろ!という感じですが。。。)
そして9000万円のうち2000万円を母の姉に贈与することにしました。
(ただ一気に贈与すると税金がかかるので、また別の制度を使ってちょっとずつ贈与)
はじめもう少し高い金額をあげたいと思っていましたが、母の姉はいらないと言って、やっとこの金額で納得してくれました。
こまった時に頼れたのは母の姉ですし、恩返ししたいとおもっていたので、受け取ってくれることが分かった時は嬉しかったです。
会社などは全部いらなかったので引き渡した
逆に父が作った会社(法人)や法人がもっている土地に関しては僕が引き受けることなく、会社のもののままでした。
ただこれに関しては一切興味がなかったので、僕はそのままでいいと思いました。
母の姉もこの会社の人たちは良い人で、次期社長候補にあった副社長のAさんも人柄が良い人みたいなので、そこは今までどおり会社として運営してもらうのがいいと思います。
土地だけもらって家賃収入で暮らそうと思う
逆にアパート3棟に関しては僕が譲り受けることにしました。
3棟といっても1棟あたり8部屋くらいの小さなアパートで、立地も大阪の狭山、河内長野、和歌山の橋本と南部にあったものなので家賃相場も安く、それほど大きな収益ではありません。
ただ働くことなく税金を除いて45万くらいは手元に残るようなものだったので、僕は7000万貯金して、その45万で生きていくことにしました。
32歳までビルのメンテナンス会社の低い月給で働いていた僕が、こんな勝ちゲーの人生を歩めるなんて、幸せで幸せでたまりません。
あとは早く結婚して僕が築く家族は仲良く暮らしていければと思います。